自分はみんなとは違うと強がってしまうあなたへ。

他の人に弱さを見せることが恐ろしいあなたへ。

 

余命を宣告されて初めて人生の価値について考え始めたカーターとエドワードの物語『最高の人生の見つけ方』を観て、人生の喜びについての僕の考えをご紹介します。

気をつけていても、つい強がってしまう人に読んでほしいコラムです。

人生の価値を量る

そもそも人生の価値とは何でしょうか?

 

当たり前のように日常生活が過ぎていくので、滅多なことでもない限り「死」について考える人は少ないと思います。

でも、いつかはやってくるその時に「後悔をしない」と言い切れる人はどのくらいいるでしょうか?

 

月並みな質問かもしれませんが、死ぬ瞬間について考えを巡らせてみてください。

「あなたはどんな状態で人生の終わりを迎えたいですか?」

 

参考に、映画『幸せな人生の見つけ方』の導入部分を引用しておきます。

「人生の価値など容易には量れない。

“家族や友によって量られる”と言う人。

“信仰心によって量られる”と言う人。

“愛だ”と言う人。

“人生に意味などない”と言う人。」

 

もう一度問いましょう。

あなたは、人生の価値は何によって量られると思いますか?

恥という邪魔者

やりたいことはありますか?

このように質問されて、どんなことが思い浮かびましたか?

 

例えば、宇宙旅行をする、新規事業を立ち上げる、家を購入する、スポーツを始める、親孝行をする、など。

色々なことが頭に浮かんだはずです。

 

さて、やりたいことのうち、すぐにできることはいくつあったでしょうか?

そして、それをやらない理由はなんでしょうか?

 

表面的な理由は置いておいて、根本にある理由を当てて見せましょう。

ズバリ「恥をかくのが恐い」から。

 

映画『最高の人生の見つけ方』からカーターとエドワードのやり取りをご紹介します。

カーター「自分を物笑いの種にする?」

エドワード「それもいい。このままでどうなる?あんたも心の中では嫌がっているはずだ。」

心を開く

さて、人生の価値を量る方法に話を戻しましょう。

ここまでやりたいことに絞ってお話を進めてきました。

 

では、やりたいことを全てやり切った人生が価値ある人生なのでしょうか?

僕はそうは思いません。

現時点の答えとして「他の人と同じように一人の個人であり、他の人とは全く違う個人であることに気づき、日々を大切に生きたと自分が思えたか」なのだと思っています。

 

特別なことではないので、拍子抜けしたかもしれません。

僕の中でも、これが答えかどうかは分かりませんし、今後も変わっていく可能性もあります。

ただ、たくさんの経験をしても最後に行き着く場所は、普段では些細だと思っていたことなのではないでしょうか?

 

最後に、カーターがエドワードに向かって書いた手紙の一部を引用します。

「あんたは皆と違うと以前言っていた。

その通りだ。だが、同時に皆の中の一人でもある。」

 

さて、あなたの人生の価値はなんですか?